…最初は貨幣論的なものを書こうと思って考え始めたんだよ。貨幣論というか、金融論批判。

いわゆる「時空」における時間と空間の座標軸は、それぞれ可換であるべきではなかろうか。具体的には時間量をスケールに置き換える。すると距離を含む量概念は凡そ時間にマイナスを掛けたものとして統一的に扱えるようにならんか。

  • シンプルに表現すると、”時空は空間軸に即して縮んでいる”

ヒトが「時空」を認識できるのは、ヒトが「時空」に滲んで存在しているから。

  • ヒトの霊魂ないし意識は、平行宇宙に量子的に存在し、肉体の観測によって存在を確定するのかもしれない。
  • タイムトラベルは不可能だし「親殺しのパラドックス」も起こりえない、しかし「異世界に行く」程度のことは比較的容易に行えるかもしれない。

※おっと、なにやらオカルトじみてきましたよ…?
※以下、(オレが)非常に面倒くさい話になる予定。