どうして「同性婚」は社会的に許容されづらいか。

なんか↓に意見を求められたんでどうしようかと思ったんだけど(IDコール元消えてるし)とりあえず過去のブクマコメントに書いたものをざっくりまとめて置いておく。

anond.hatelabo.jp

そもそも原始農耕共同体なんかは乱婚が一般的であったところ、そこからの狭義の結婚(=貞操契約)へと変化は、社会が複雑・肥大化し、産業が専門分化して、その継承にコストがかかるようになり、独占のために血縁を強化する必要が生じたから。これが社会制度としての「結婚」の起源。

これはすなわち「家」の起源でもあるが、ひとつの血統に財が集中するとコミュニティ内部の均衡が損なわれるので、一定の歯止めをかける仕組みとして、たとえば「近親婚の禁忌」が存在する。


「家」の存在は社会的格差、すなわち財の偏在をもたらす。その上で「家」がコミュニティに存在を許されているのは、その資産が公共財として理解されているため。

コミュニティは「結婚」をコントロール下に置くことで、内部の財の偏在を調整する。それらは社会心理として結婚の同調圧力(お見合いババアの発生)として働き、また、セレブの結婚や出産がニュースバリューを持つのも、それがコントロール下にあるべきものとして社会的に認知されているから。故に自由恋愛はときとして「不倫」と呼ばれることにもなる。


同性婚」がコミュニティに許容されづらいのは、言うまでもなく、それが結婚の本来の機能である「財の偏在を調整する」仕組みになんら寄与しないせい。「結婚」とは要するに(公共財の)相続権をめぐる社会的選択であって、その結果には個人の意思や選択は微塵も介在しない。そもそも結婚を自由恋愛の結果と考えるのは議論の前提からして間違っている。



(逆に考えれば、極端な格差を許容(放置)する社会は「同性婚」も許容する可能性がある。つまるところ、「今」はそういう時代なんじゃろ。)